横浜駅のお隣に鎮座する神奈川駅の正体 !

まず連想ゲームをしたいと思うのですが、東京駅といえば新幹線多数、JR私鉄路線乗り入れ率高しの巨大な巨大な駅ですよね。
各地方への高速バスも充実しています。

ということは、神奈川駅というからには、さぞかし巨大な駅で、とてつもなく広いコンコースがあるに違いない!?
と、思いますよね。私も、思いました。

後ほど熱く語らせていただきますが、神奈川駅は、各駅停車のみが止まる小さな駅です。
改札もこじんまりしていて、2つしかありません。

が、しかし侮ることなかれ、隣の駅である横浜駅に、その華々しい役目を託した言わば長老のような存在、とでも言いましょうか。
時には厳しく、時には温かい眼差しで地元住民を見守ってきた地元密着型の駅、と言ってもいいでしょう。
その歴史は長く、開港当初まで遡ります。

今回は、謎の多い京浜急行神奈川駅についてご紹介させていただきます。
時間になりましたので、出発進行!
(お乗り遅れのないようご注意ください~)

神奈川宿歴史の道

“東海道五十三次に日本橋より数えて、三番目がこの神奈川駅の由来になった神奈川宿です。”

と、いきなり言われても、わからなさすぎて、大混乱ですよね(笑)
事細かく追っていきたいと思います。
東海道五十三次とは、江戸時代に整備された五街道の一つで、東海道にある53の宿屋のことを指します。
道中には有名な名所があり、浮世絵や俳句、和歌など芸術作品の題材として登場することもあります。
参勤交代で大名や商人が行き来している姿をモチーフにした作品をよく見かけますよね。
五十三次の道のりは、487.8km。
その間に旅籠と言われる施設(現代的にいうとホテル)が、3000近くあったそうです。
日本橋を起点に、53ある宿場ですが、神奈川駅の由来になった神奈川宿は、三番目。
この神奈川宿という地名が、県名や区名の由来であり、近代都市横浜の母体でもあります。

「東海道分間延絵図」

江戸幕府の道中奉行が作った地図があります。
図の中央に滝ノ橋、この橋の右側に神奈川本陣。左側に青木本陣が描かれており、折れ曲がったあたりが台町と言うところだそう。
今回の主役である神奈川駅は、折れ曲がった道のすぐ右にあたります。
明治5年の鉄道開通の際に設けられた神奈川停車場は、すぐこの南側に位置してました。
そのため神奈川駅は、神奈川宿の名前を今でも残しているのです。

駅舎は清水の舞台をイメージして改築されたらしい。

平成4年に改築された、神奈川駅。
京浜急行の協力のもと、神奈川宿歴史の道にふさわしい、和風で瀟洒なデザインに生まれ変わりました。
東海道が、品川から大津まで、本道は京都に入るからでしょうか。
東海道のことを、京街道と言う文献もあるみたいですね。
本物の(笑)清水寺は、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで挑戦する、だったり病気を治してほしいなどの願掛けで有名ですが、歴史を引き継いで改築された神奈川駅も、もしかしたらご利益があるかもしれません。
あ、だからって飛び降りたりしないでくださいね。

神奈川条約の別名

ここ、神奈川が一躍有名になったきっかけは、安政元年(1854)の神奈川条約締結の舞台になったからでしょう。
神奈川条約と聞いてピンとこない方もいるかもしれませんね。
日米和親条約だとどうでしょうか?実は同じ条約のことなんです。

嘉永6年(1853)6月3日。
4隻の艦隊を率いて浦賀沖を訪れたペリーが、日本に開国を求めたのは有名な話ですね。
一度目の黒船来航です。
ペリーは翌年の嘉永7年(1854)1月16日、今度は7隻の艦隊を率いて来航しました。
めげない男です。(おかげで今の日本があるのですが)
強く和親条約の締結を迫られ、江戸幕府は3月3日、とうとう折れます。
12条の日米和親条約(神奈川条約)を締結することに。
当初は、農村が占めていた横浜よりも、開けた場所だった神奈川を開港地に指定していたという話もあるそう。
国防のことからも最終的に、横浜が開港地に選ばれました。
と、いうことになっていますが、開けていた神奈川を開港地にしたくなかった江戸幕府が、(日本人と外国人の接触を避けたかったということもある)ごねに、ごね(笑)横浜を神奈川の一部だ!!と言い張り、横浜を開港地に指定しました。
そのために、巨額のお金を使って横浜港を整備したそうです。

元々、関税について交渉しようとしていたのを先延ばしにし、和親条約から4年後、ハリスが日米修好通商条約を締結させます。
この条約が日本にとって不平等条約だったことも、また有名な話ですね。

開港当時、多くの寺が諸外国の領事館などに充てられたそう

神奈川駅から反町方面にある本覚寺には、アメリカ領事館の指定を受けて来日したハリスが住み、後々ドールが住んだ経緯があります。
当時は、京浜急行東神奈川~神奈川にかけて、イギリス領事館、フランス領事館が置かれていたそうです。
神奈川駅を出ると、すぐ左には宮前商店街の入り口が見えてきます。
その商店街を入っていくと、左手に開国当時のフランス公使館になっていた甚行寺、善門寺、そして商店街の手前には州崎神社があります。
街並みに歴史を感じますね。
(参考:京浜急行公式HP神奈川駅紹介ページ)

神奈川の由来について諸説ありよりのあり

~トピックス~

突然ですが、ここでクイズです!
神奈川の由来になったのはなんでしょうか。

  1. 水源地のわからない川、上無川(かみなしがわ)が由来
  2. 金川or狩野川と呼ばれていた川が由来
  3. 朝鮮系の人が多く住んでいたこともあり、韓川(からかわ)が由来
  4. 地形からするとカマカワが変化したことが由来

諸説ありまして、正解はまだわかっていません!(笑)
鎌倉幕府の執権、北条時宗の発した文書の中にも記されている地名らしいのですが、
様々な言い伝えがあるそう。
神奈川宿以前の神奈川の由来も気になるところですね。
(前のめりなかた、白線の後ろまでお下がりください~)

神奈川県民としては、一度は訪れたい

現在の神奈川駅利用者人数は、3713人!(参考:京浜急行乗車人数調べ※2020年)
歴史ある神奈川駅を守るためにも、ときどきでも訪れて古と新しい空気感を吸い込みたいところですね。
自分自身という存在が、偉大なる人物たちに守られ、生かされている気になるかも。

(今宵、こちらが最終電車です。出口は、、、またお会いしましょう)

《京浜急行電鉄「神奈川駅」》【スポット】
住所:神奈川県横浜市神奈川区青木町1-1