横浜に移り住んで幕末の日本に貢献した「ヘボン博士」ってどんな人?

「ヘボン式」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。「横浜」をローマ字で「yokohama」と表記することを、ヘボン式ローマ字といいます。

この「ヘボン」は、人の名前であることをご存じでしたか? ヘボン式ローマ字の生みの親であるヘボン博士は、横浜にゆかりの深い人物なのです。

今回は、ヘボン博士の人生と功績についてご紹介します。

宣教師でもあり医師でもあったヘボン博士

ヘボン博士のフルネームは、ジェームス・カーティス・ヘボン。キリスト教の宣教師であり医師でもある、アメリカ人です。

1815年に生まれたヘボン博士は、1836年にペンシルベニア大学を卒業して医学博士になりました。キリスト教と医療を伝えるため、1859年、妻のクララと来日します。その時に降り立ったのが横浜だったのです。

ヘボン夫妻が日本に来たのは、1854年に日米和親条約が結ばれ、日本が開国してから5年後のことでした。当時、ヘボン博士は44歳でした。

その後、ヘボン夫妻が住んだのも横浜だったのです。神奈川区にある成仏寺を住まいにして、近くに神奈川施療所を開き、医療活動を始めました。

ヘボン博士は多くの患者を無料で診療し、1862年に起きた生麦事件でも負傷者を治療したといいます。

日本の近代医療に大きく貢献したひとりが、ヘボン博士なのです。

医学や語学を教えた「ヘボン塾」

ヘボン博士の功績は、医療だけにとどまりません。

1862年の末、横浜居留地の宣教師館に住まいを移したヘボン博士は、翌1863年に男女共学の「ヘボン塾」を開きました。

このヘボン塾では、ヘボン博士が医学を教え、妻のクララが英語を教えました。後の総理大臣になった高橋是清は、ヘボン博士の教え子だったといいます。

ヘボン塾の活動は、夫妻の一時帰国などで中断しつつも、1876年にアメリカ人宣教師ジョン・クレイグ・バラ氏に引き継ぐまで続けたとのことです。

そしてヘボン塾は、明治学院大学やフェリス女学院大学の源流となりました。

明治学院大学は、創設年をヘボン塾が始まった1863年としており、今でも、少人数のゼミ形式での授業を”ヘボン塾”科目と呼んでいます。また、戸塚区にある横浜キャンパスのグラウンドもヘボンフィールドと名付けられていて、至るところにヘボン博士の足跡が感じられます。

日本にキリスト教を伝える

(出典:横浜指路教会 公式ホームページ

ヘボン博士は、キリスト教の宣教師としても活躍しました。

今の関内駅近くにある横浜指路教会は、1874年、ヘボン塾で学んでいた生徒たちの協力のもと、ヘボン博士が資金援助をして建てられた教会です。横浜居留地のヘボン邸で創立した「横浜第一長老公会」が前身で、その後、横浜指路教会になりました。

「指路(しろ)」とは旧約聖書にある地名・人名のシロであり、ヘボンの出身教会名でもあります。

そしてヘボン博士は、日本初の新約聖書・旧約聖書の全文和訳も手がけました。同じく宣教師として来日したサミュエル・ロビンス・ブラウン邸で、聖書の翻訳を行ったのです。

ブラウン邸の跡地にある横浜共立学園の敷地内には、「新約聖書和訳記念之地」という石碑があり、その歴史を垣間見ることができます。

日本初の和英辞典を編纂し、ヘボン式ローマ字を生み出す

1867年、ヘボン博士は日本で初めてとなる和英辞典『和英語林集成』を作りました。その記述法として用いられたのが、私たち日本人にとってなじみのある、ヘボン式ローマ字です。

『和英語林集成』は明治時代のベストセラー辞書となり、その後の日本における辞書出版に大きな影響を与えました。

ヘボン式ローマ字は、駅名や道路標識、地名、パスポートの氏名表記などに採用されており、現代を生きる私たちにとって欠かせないものになっています。

みなとみらい線元町・中華街駅の壁には、ヘボン博士の肖像画と編纂した辞書が描かれています。横浜の地で大きな功績を残したことが感じられますね。

(出典:明治学院大学 公式ホームページ

ヘボン博士は33年間もの長い間、遠い異国である日本で活躍し続け、1892年に妻クララの病気を理由にアメリカへ戻りました。そして1911年、病気によって96歳でこの世を去りました。

今回は、ヘボン博士の半生と功績についてご紹介しました。宣教師、医師、そして塾の経営や翻訳など、考えられないほど多くの分野で日本に貢献したのですね。

横浜市内には、ヘボン博士の偉業を感じられるスポットがいくつもありますので、ぜひ足を運んでみてください。

この記事を書いた人

  ライター名  御代 貴子
プロフィール 横浜に何かと縁があるフリーライター。幼少期の夏休みは横浜の親戚の家で過ごし、大学生活も横浜で送る。現在も神奈川県在住。東北の港町で育ったせいか、海辺の街並みが好き。趣味は飲酒しながらの料理。